スウェーデン語(事実上)

ありがとうはtackというそうです
でも聞く限りタッキュもしくはダッキュにきこえるんだが…

スウェーデンでは
スウェーデン語は事実上公用語なのですが、実際はほぼ英語使用者がおおかったようなきがします
言語学はほぼわからんのですがこの感覚はやはりうまく理解できませんね
アイヌ語琉球語とはちょっと違うような…

古い言葉が消えてゆくのはそれに編まれた歴史あるいは文化が封ぜられることと同時に風化してゆくことなのじゃないかなと、言語に対して感じ入るところです
その復活は言語学者の分析をまたねばならないほどに奇跡的になってしまう、あの線文字のように

やはり言葉という道具は思想を作る道具だからこそ、発想も持って行くのではないか、つまりその言語使用者だからこそ感じられるもの・あるいは考えられるものがある

いつかとおいその日、あるいはすぐそこに日本語という美しいものを編む道具はのみこまれてしまうのだろうか
私たちはその行く末を見ることが出来ない